書 の 歴 史(中国編)<1>    老本 静香

           

 1、文字の始まり

わたしたちが日常使っている文字は、「漢字」と「かな」ですが、すでに皆さんも知っているように、漢字は中国から渡ってきたものであり、かなは日本で生まれたもので、どちらも長い歴史があります。わたしたちは習字の練習に励むとともに、この文字や書道の歴史を調べて広い知識を養っていきたいと思います。

 大昔、人類の原始時代のまだ言葉がなかった頃は、人間は身ぶり手まねで意思を通じ合っていました。そしてだんだん進歩して言葉が生まれました。はじめは簡単な言葉で、数も少なかったことでしょうが、次第に言葉の数が多くなり、複雑なことも通じ合えるようになりました。

 しかし、口でしゃべる言葉は、その場で消えてしまって残りません。また遠く離れた場所に伝えることができません。そこで考え出されたのが、縄を結んで知らせる方法です。たとえば牛が三頭であれば縄に三つの結び目をつけるような方法であったようです。これを結縄(けつじょう)といいます。

 人類はこのように言葉を使うようになったり、知らせる方法を考えたり生活のための道具を作ったりして進歩してきましたが、その間には気の遠くなるような、長い年数が経っています。そして次に考え出されたのは、簡単な絵にあらわすことでした。

半坡村出土符号
半坡村出土符号

1954年から1957年にかけて、中国の西安(唐の都・長安)近くの半坡村で、新石器時代の遺跡が発掘され、出土した土器や陶片に絵とも記号とも区別のつかないものが発見されました。これらはただの絵であったのか、言葉として読んでいたのかわかりませんが、これが文字に進化していったものだろうといわれています。

 この遺跡は紀元前4000年頃のものですから、今から6000年くらい前のものです。

 

さて話は新石器時代から殷(いん)の時代(紀元前1300年)にとびますが、この間の文字の歴史ははっきりしていません。

 殷の時代というのは、今から3600年~3100年くらい前の中国の歴史で最も古い国です。ところが今から110年ほど前に、思いがけないことからその殷の遺跡がわかって発掘されました。そこからは数々の貴重な文字の資料が見つかって、今までわからなかった歴史が明らかになり、研究がたいへん進みました。

殷の時代には、二とおりの書き方があることがわかりました。それは甲骨文とよばれる文字と、図象文字とよばれる文字です。

 甲骨文は亀の甲羅や牛や羊の骨に刻まれているもので、その当時文字として使われていたものです。図象文字は絵に近いもので、おもに青銅器に刻まれています。これは文字というより、その家の紋所のようなものだろうといわれています。図象文字はまだ絵に近く、文字になりきっていません。甲骨文の方はかなり簡単になって文字らしくなっています。しかしどこまでが絵で、どこから文字なのか区別する境目がはっきりしません。

         ○

殷の遺跡が見つかったのは1899年、有名な学者であった王栄(おういえい)という人が、マラリヤという病気にかかり、北京の薬屋で万病によく効く「竜骨」という薬を買ったところ、その竜骨を見ると、表面に鋭い刃物で刻んだ古代の文字のような跡がありました。

 王先生は古代の文字の研究者としても有名な人でしたから、一部読める字もあり、「これは大変なものだ、本物なら世紀の大発見である」というわけで、北京中の薬屋をまわって竜骨を買い集めました。

 そして、その竜骨の出る場所をたずねるのですが、秘密にしてなかなか教えてくれません。しかしやがてそれは河南省の安陽県の小屯(しょうとん)という村から出土することがわかりました。

 そこは遠い昔、殷という国が栄えた地で「殷墟」とよばれている所でした。

これ以来、発掘と研究が続けられてきました。

 

甲骨文
甲骨文

2、甲骨文

甲骨文が刻まれた時代は殷の後期です。殷という国は、中国の歴史では神話の中の国で、本当にあったのかどうかもはっきりしなかったのですが、1899年以来殷墟が発掘されて、殷王朝のあったことが明らかになりました。

 殷王朝は黄河の水害から逃れるため、都を点々と移しかえましたが、中期の王、盤庚のときに都を殷墟に定めて、一大帝国を築きました。

 この頃の人々は、すべてのことを決めるとき、神にうかがいをたてました。天気がどうなるか、農作物が実るか、狩に出かけてよいか、戦争に勝てるかなどと、あらゆることを占って生活していました。

 自分たちをとりまくすべてのものに、精霊や祖先の魂が宿っており、それらのものが宇宙を支配していると考えていたのです。

さて何かを占う時は、亀の甲羅や、牛や羊の骨を使いました。まず裏側にだ円形の溝を彫り、かたわらに円形のくぼみを入れます。この円形の部分に木の燃えさし棒を差し込むと、「ボク」という音をたてて表面に亀裂ができます。あらかじめどちらの方向にひびが生じたら、吉あるいは凶と決めてありますから、それによって占いができ、神のお告げとするわけです。占いのことを『ト』といいますが、これはひび割れの形と、ボクという音からきているわけです。

 ひび割れのかたわらに文字を刻んであるのは、いつ何をうらなったかを記録したもので、これらは神のお告げとして大切に保存されました。甲骨がおなじ場所から多量に出土していることは、これらが一定の場所に保管されていたのではないかと考えられます。

金 文
金 文

3、金文

中国の歴史年表を見るとわかりますが、殷の次は周の時代となります。それも西周(紀元前1027771年)と東周(紀元前770403年)に分かれます。今から3000年から2500年も前の古い国ですが、中国史上でも、最も長く続いた王朝です。

 周時代というのは社会も文化も非常に発展した時代で、精巧な青銅器が作られるようになりました。それには祭器・楽器・兵器などいろいろありますか、それらの銅器には多くの銘文が刻まれています。その文字を「金文」といいます。 また、もうすこし後に出てくる石に刻りこんだものとあわせて「金石文」ともいいます。

    

 さて、書の歴史では殷時代の甲骨文と、周時代の金文とが現在残っている漢字の中でも、最も古いものとされています

それ以前の文字はどうだったのか、またどんな過程をたどって甲骨文や金文の文字になったのか、といったところがいろいろな説がありますが、いまのところはっきりしません。前に書いた半坡村遺跡の文字(?)から甲骨文にいたる間の文字の歴史が明らかになればいいのですが、なにしろ気の遠くなるような古い昔のことで、研究もたいへんです。

 しかし中国ではいま、いろいろなものが発掘されていますので何が飛び出すかわかりません。

 そんなわけで、いまのところちゃんとした文字としては殷の甲骨文と周の金文がもっとも古い文字ということになります。  

(※註 年号などに異説があって、書物によっては若干の違いのあるものがあります。また厳密にいうと不備な記述もあります。例えば、金文は殷代の終り頃のものが若干ありますが、ここでは周の金文としました。) 

 

                       

 

―蒼頡(そうけつ)が文字を作った話

 

 これは中国に古くから伝えられている有名な話です。

 今から5000年ほど昔、伏犠という皇帝が、黄河の中から現れた一頭の竜馬の背に書かれていた奇妙な記号を手本にして、易の根本となった八卦を発見しましました。八卦の文字は皆さんも知っているように、棒を横に三本引いたり四本引いたりするあれです。しかしこれでは日常の文には不便です。

それから3000ほど後の紀元前2700年ごろ、黄帝に仕えていた蒼頡という頭のよい役人が、この八卦の文字をさらに一歩進めて文字を作ったということです。

 蒼頡という人は、竜のようなおそろしい顔をして、口が大きく、そのうえ眼が四つあったということです。

 まだ文字のないころですから、蒼頡は「自分の思っていることをすらすら伝えることができる何かがあればよいのになあー」とつねづね考えていました。

 ある時、川べりを散歩していると、が四五羽遊んでいました。蒼頡が近づくと驚いて、コココーと悲鳴をあげながら逃げてゆきます。そこには清らかな川べの砂に無数の鷄の足あとが残されていました。

 逃げてゆく鷄の姿と、砂に残された足あとをじっとながめていた蒼頡は、急に真剣な顔になって、突然「これだこれだ」と大声で呼びながら、気が狂ったように走りまわりました。そして飛ぶようにして家に帰った蒼頡は、机の前にすわって、何か一心に考え出しました。

 おりからあたりが暗くなって、ザアッとはげしい雨が降り出し、やがて雨のかわりに粟の粒が天から降ってきました。夜になるとあちこちから鬼の泣き声が聞こえるすさまじい夜になって、人々はおそれと不安におののいています。

 そんなとき蒼頡は、ひとり机の前にすわったまま、一晩中まんじりともせず一心不乱に考えこんでいました。彼のまぶたにはきよう川べりで見た無数の鷄の足あとが焼き付いています。

 そして、山に川、お日さま、お月さま、人、子ども、馬や牛と、あらゆるものの形が彼の頭の中につぎつぎと浮んできました。

 蒼頡はこうして万物をかたちどって、文字を作り出したということです。

 

                                         

筆者   老本静香(おいもと・せいこう) 当会副理事長

※「書の歴史」は「小石の友」誌に昭和61年から連載されています。(この記事はWeb用に一部加筆しました)

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